日本財団 図書館


本ではなく開発途上国の事例が取り上げられた。「日本の現状は途上国の状況と余りにも違う。日本について学んでも帰国後に役に立たない」という研修生達の批判があったからである。そこで第3回から以後の4回は、フィリピン、インドネシア、パキスタン、タイが計画演習の対象地域に選ばれ、そこで実際の地域総合開発計画の立案を模した実習が行われた。このころの研修が一番期間が長く約6ヵ月のコースであった。
1977年6月、国連本部から国連地域開発センターに業績を評価する調査団(団長ハリー・リチャードソン南カリフォルニア大学教授)が送られてきて、1月にわたる調査に基づいて勧告を残していった。総合研修については一般コースと国別コースに分離すること、研修内容を事例研究的なものから、アカデミックに確立された開発理論、計画技法などを講義形式で教えるものへ変換することなどが要請された。
この研修コースの見直しのため1978年の総合地域開発研修は開講されず、第7回研修は翌1979年に開かれ、研修は一般的に用いられている理論や技法の講義とその演習を中心とするものになった。コースの中間には日本の見学、終わりには近隣の国々への研修旅行が行われた。研修期間は1979年には5ヵ月、1980年からは3ヵ月に短縮された。
1983年の第11回研修からは研修コースがさらに圧縮され2ヵ月の研修期間になって現在まで続いている。第11回から現在の第24回研修まで特徴となっているのは、コンピュータの利用である。地域計画を体験学習できる完全コンピュータ化されたゲーミング・シミュレーションが研修に導入され、効率的な研修が可能となった。
(2) 調査研究
国連地域開発センターでは1971年の発足から10年ほどは、研修、研究部門の間は判然とは分かれておらず、研究テーマも研究主任の専門分野によって選ばれていた。研究員も研究主任の個人的な研究アシスタント的な色彩が強かった。しかし国連地域開発センターの活動分野が広がるにつれ体制の整備が必要となり、1981年には事業部門に物的計画、地域経済計画、開発行政計画、事業計画、農業計画の5部門が設けられた。
1982年以降、研究員(ナショナル・エキスパート、UNリサーチャー)や地方公共団体等からの派遣職員の受け入れにより、人的拡大が図られ、研究事業の数も増大した。
1988年には従来の5部門制から都市・住宅、地域計画、環境管理、地域防災、情報システム、社会開発、産業エネルギー開発の7ユニット制に再編成された。東アフリカ、中国無錫地域、太平洋島嶼国などの重点協力プログラムを管理する部門も設けられた。
1993年アフリカ地域事務所がケニヤのナイロビに設けられ、三重県四日市市にも分室が設けられた。
現在では冷戦終結後の世界が抱えている3つの大きな問題、(1)自由主義経済への移行とボーダーレス社会への進展、(2)21世紀へ向けての持続可能な開発の達成、(3)国民の意志を

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION